福田フクスケのリズミカルな地団駄

フリーライター福田フクスケによる、筋トレのような自慰行為のような写経のような、呪いにも祈りにも似たサービス精神の欠片もない日記。

【20150528】自分にしか興味がない

今日は、川崎貴子さん×二村ヒトシさん×白河桃子さんのトーク&サイン会「なぜ恋は愛になり、愛はセックスレスになるのか?〜これからの女と男の話をしよう〜」を聞きに池袋コミュティ・カレッジへ。
…と、その前に、実は別件で二村さんへの取材が入っていたので、イベント開始よりだいぶ早めに現地へ。某誌で二村さんが書くことになっている、とある本の書評を、語り起こし形式で俺がまとめさせてもらうことになっているのだ。

聞けば最近、二村さんは「自分に使命感がない」ことに悩んでいるらしい。
今日のトーク相手である川崎貴子氏も、白河桃子氏も、よく対談をする湯山玲子氏も、あるいは恋愛工学の藤沢数希氏も、「誰かの生き方をより良く変えさせるために何かを伝えたい」という明確な使命感を持って活動しているのに、自分はひたすら自分のために自分のことしか書いてこなかった、というのだ。

同席していた編集者氏は、「二村さんはまだ自分に興味があるんですね!」とビックリしていたが、この話、俺にはすんごくよくわかる。
社会のためとか誰かのためといった「使命感がない」というのは、言い換えれば自分が表現することにおいて「自分のため」以上の「根源的なテーマがない」ということでもあると思う。
で、それはかねてより俺が、友人の渋澤怜氏や、にゃんきちったー氏と話していた悩みと、とてもよく似ているのだ。

人間、ある時期を過ぎると「自分のため」だけでは行き詰まり、「誰かのため」をモチベーションにしないとがんばれなくなる、とはよく聞く話だ。
ある人にとってそれは「我が子のため」かもしれないし、ある人にとっては「社会貢献」や「後進の育成」になるのだろうけど、いずれにしろそうした「使命感」を獲得することで、人は自分の中に「生きるテーマ(文筆家の場合は書くテーマ)」みたいなものを見つけていくように思う。

でも、俺のような人間には、「社会をこう変えたい」みたいな欲望がない。いつまでも自分のためにものを書いていたいし、自己実現のために仕事をしていたい。
それは、見る人が見たら幼児性や未熟さなのだろうけど、今は、自分を含めたある世代以下の人の多くが、「いつまでも自分に対する興味が終わらない」ために、その先に進めないように見える(先に進まなきゃいけないのか、というのはさておき)。

だから、人生のはるか先輩であるはずの二村さんが、「自分のために/自分のことしか書けない」ことに悩んでいるのは、とても頼もしく、ぜひその背中を追いかけさせていただきたいと思うのだった(笑)。

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取材後に行われた、「恋と愛とセックスレス」をテーマにしたトークイベント自体も、大変興味深いものだった。以下、印象に残った発言をTwitter実況してくださった方の引用で紹介。

注)正確には、「育児に関わるとテストステロン値が落ちて競争心が薄まるため、今の日本企業では出世するのが難しくなる」とのことで、性欲は関係ない模様。ただ、私見だけど日本の男性の性欲はテストステロン=攻撃性と密接に結びついているので、「育児に関わると性欲が落ちる」も真実だと思う。

そして、イベントの打ち上げでも二村さんは「俺はこれからどうすればいいか」という身の上相談をされていました(笑)。